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2009年8月27日 (木)

*09年4月末頃でのチェコの「クトナー・ホラ」、「骸骨寺」内部その1

この記事は『*09年4月末頃でのチェコの「クトナー・ホラ」、「骸骨寺」入り口付近その2』の続きです。

今回は通称「骸骨寺」→「全聖人の墓地教会ー納骨堂」(「骸骨寺」の中で売られていた「クトナー・ホラ」という日本語訳ガイドブックには、そう書かれている)の内部写真展示でございます。


一応、このブログ用の鉄道路線図で、チェコ共和国の「クトナー・ホラ」の位置が判ります↓。

Photo_3

ご興味がありましたら、トーマスクック、ヨーロッパ鉄道時刻表や、複数のガイドブックを買って眺めて下さいませ〜。

「納骨堂」の入り口内部にある売店にて、チケットを買って中へ入ります↓。

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「全聖人の墓地教会ー納骨堂」のみだと、50Kc(チェココルナ)日本円にして約250円。
「全聖人の墓地教会ー納骨堂+聖マリア修道院教会」だと70Kc(チェココルナ)日本円にして約350円。

実はこの階段の左側に「聖杯(ワイングラスのようなものを想像して下さい)」の形にされた ご遺骨さんたちの姿があるのですが…後ろの壁のシミが大規模で怖いので、載せませんでした。

いや、ほら素人(しろうと)さんに「後ろの壁に、幾つかドクロが見える〜!?」とか趣旨に反する指摘を喰らうのは泣けますので。
その素人とは…私も含まれていまして霊は見えませんが、かえってそれが妄想を膨らませるのです(T=Tlll)。

地下は少し湿度があるらしく涼しい程度でしたが、これが壁に与える影響が、シミ。

イタリアは「マテーラ」にある「洞窟住居」も湿度のおかげで、4〜5年に1度は壁を塗り替えないとイカンと、とあるTV番組から得た知識を披露。
「カビも生えちゃう」ほどだそうですので、こちらの「納骨堂」も似たような感じだと思われます。 傷んだ壁が、あちこち写真に写っていますので、「ドクロが!?」とか言わず「壁が傷んでしまうのだな」と思って頂けると有り難いです(^^;)。


ここでは、ドクロは本物で充分なんじゃよ!


…この建物が改修された時とかに、はめ込めれた看板↓。

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チェコ語ですので読めませんが、書かれている西暦に注目です。

この「納骨堂」ではチケットを買った際、 「どこから来て下さいました?」「中国?韓国?日本?」とか聞いて下さいますので、その際にA4版サイズ1枚の、この「納骨堂」の簡単な歴史説明が書かれた紙を貸して頂けます。

その用紙を、かいつまんでご紹介↓。

Photo

え!?かいつまみ過ぎ?

歴史説明書、画像右上に「JAPONESKY(日本人用)」と書いてあるのが面白い。
そのまま載せるのも何ですので、省略しつつ書きますと↓。

クトナー・ホラのセドレツ地区へ、1142年、シトー修道会(1098年 創設)の修道院が建てられ、修道士たちは周囲の土地の開墾、耕作などをして生涯を閉じて行ったようです。

1278年、当時のボヘミア王の命により、大修道院長インドジッフさんがキリスト教ゆかりの地へ赴(おもむ)き、イエス・キリストさまが磔(はりつけ)の刑にされたゴルゴダの丘の土をひと掴(つか)み持ち帰って、セドレツの修道院の墓地へ振りまきました。

その結果、この墓地はボヘミアのみならず中央ヨーロッパへ知られるようになり、多くの裕福な人達が「ここに埋葬される」ことを望むようになり…ペストという病気の流行や、行く度かの戦争などによって、かなりの人数が埋葬されて来ました。

1400年、大修道院長の1人が、墓地の中央にゴシック様式の「諸聖人教会建設」に着手、その地下に廃止される埋葬地の遺骨のために、礼拝堂が建てられることになりました。

この務(つと)めは、1511年からシトー修道会の半盲の修道士によって始められたそうです?。

…ご遺骨を掘り出して、パーツ分けしていたのかも??。


「納骨堂」は、1703年〜1710年に掛けて、イタリアの高名な建築家によってチェコ・バロック様式に改築。

骨を素材とした現在の装飾は、1870年からチェコの木彫師フランチーシェック・リントさんによって作られたようです。
彼の名前は、やはり昔のご遺骨で、壁に書かれています。

その歴史説明書の紙の国別言語表↓。

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JAPANESEは右列へございます v 。

1870年のチェコの木彫師、フランチーシェック・リントさんのお名前↓。

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この方が、ご遺骨でシャンデリア等々を作ってしまったスゴイ人です。

…この時代、シュバイツェンベルクさんという人がお金を出していたのか、その家の紋章が↓。

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…色々な意味で、スゴ過ぎる。

スゴいものを見せて頂いて、有り難うございますm(__)m。


次回は、内部の設備などの写真展示の予定でございます。
警報ブザーを鳴らしてしまった、女の子観光客のお話も出来ればm(__)m。

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